'02宮島狂言レポート

2002年9月22日・23日 厳島神社能舞台

 神が宿ると言われる宮島は陸からほんの僅か、連絡船
でも十分程しか要しない。にもかかわらず、自然豊かな古
(いにしえ)の景観をとどめるその姿には、誰しも畏敬の念
を抱くのではないだろうか。厳島神社の創建は593年。
能舞台は1605年に建立され、以来『翁』も上演されるなど
「三番叟」にとっても由緒ある場所だ。
また潮の干満により海上に浮かんでいるように見える神社・
能舞台の姿は絶品!ただこのために、通常能舞台下に置
かれているはずの瓶が無く、潮位により舞台を踏む音の響
きが違うのだそうで、別の意味でも興味深い。

「月見座頭」  座頭 野村万作  上京の男 野村萬斎

入場の列に並んだころにはすっかり日も暮れ、見所には虫の
声も・・。橋掛かりに杖の音が響き始めた時には、もうすっかり
「月見座頭」の世界に入り込んでいた。万作師の座頭は定評
のあるところだが、厳島のような風雅な舞台ではことさら侘びた
味わいが生きてくる。杖の音の一つ、台詞のひとつに座頭の
哀愁が感じられて、観る者の心に深く染み入ってくる。
それゆえ後半の理不尽な仕打ちが狂言とは思えない重みを持
ってくるのだが、そのことよりも我々の心に重く響いたのは終曲
間際の「くっさめ」だったのではなかろうか。一瞬場が和んだ後
の孤独な座頭の姿は今も脳裏から離れないでいる。
 「月見座頭」はある意味普遍的な人間の本質を描いていると
言える曲で、現在に生きる我々が観ても考えさせられることの
多い作品だ。たとえば、ネットの世界にも通じるところがあろう。
普段の人間関係ではちゃんとした人でも、匿名の掲示板などで
攻撃的になったり悪意を露呈することなどは珍しくない話だ。
私達は自身の中にあるそうしたニ面性を理解し、自ら戒めていく
のでなければ、この男の理不尽を非難することなど出来ないの
ではなかろうか。

「三番叟」 三番叟 野村萬斎  千歳 高野和憲

萬斎師の「三番叟」にはいつも躍動感とエネルギーが満ち溢れ、
舞台と見所が共鳴することで宇宙を感じられるような感覚に陥る。
この時空を超え森羅万象へとつながるゲートウェイは、萬斎師
の「三番叟」に感じられる特別な感覚と評して良いと思う。
特に今回は、揉の段の力強い足踏みと本当にキレの良い袖の
捌きが他の誰も成し得ないと思えるほど素晴らしかった。
 ところでこの揉の段にも登場する烏、宮島では神の使いとされる
聖なる存在。こんなことも何やら因縁めいたものを感じるのだが、
四百年近くも前からこの場所で「三番叟」が踏まれていたのかと
思うだけで、師の舞台に古来の人々の姿がオーバーラップして
くるのも厳島神社の能舞台ならではのことだろう。


中秋の
雲間を裂きて宇宙(そら)に舞う

(いつき)の光 萬月(つき)に勝りて
     


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